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追憶の青に駆られて名越啓介の旅は続く

追憶の青に駆られて
名越啓介の旅は続く

2025.10.27 STORY

CONTENTS

岡山・サハラの意外な近似
象徴としての多面的な青
時間をかけて、物語に触れる

荒野を走る鉄道に乗り込み、砂漠をさまよい、現地の人すら避けるようなスラムに足を踏み入れて。名越啓介さんはそうして数奇なコミュニティの日常と、まだ見ぬ人々の生き方と向き合ってきたフォトグラファーです。先ごろ公開されたMOMOTARO JEANSの新たなフォトストーリーはそんな彼が岡山・児島を訪ねて撮り下ろしたもの。夜明けを迎えた海辺の街に、溶け込みながら映えるデニムの深いブルー。そこでシャッターを切った理由を名越さんが語ります。

PHOTOGRAPH : Yusuke Abe(YARD)
EDIT & TEXT : Rui Konno

岡山・サハラの意外な近似

追憶の青に駆られて名越啓介の旅は続く

―名越さんがMOMOTARO JEANSの今回の新たなビジュアルを撮影されることになった経緯からうかがえたらと思っています。

自分が以前に東京で写真展をやってたときに(MOMOTARO JEANSのリブランディングに携わっているムラカミ)カイエさんが来てくれたんですよ。トゥアレグ族っていう、サハラ砂漠で暮らす遊牧民の人たちと行動をともにしながら撮影した写真の展示だったんですけど、そこからの流れなのかな。「一緒に仕事したいね」みたいな話を前からしていて、それで今回「児島で撮影しよう」となって。

―名越さんは児島という土地にゆかりはあったんですか?

自分の親のルーツが岡山で、今もそこに住んでるので岡山自体に行く機会は多かったんですけど、海側のほうには全然行ったことがなかったんですよ。親は結構山奥の、本当に頂上に近いようなところに住んでいて。だから、今回は結構新鮮でした。住んだことはないけど岡山は自分のルーツでもあるから、いろんな部分が見えた感じがして。

―そうだったんですね。

父親と兄貴が亡くなったとき、父親のルーツっていうのがどういうものだったのかを知りたくて、岡山でずっと父親の軌跡を辿っていたことがあるんです。自分の空想でしかないんですけど、その中で日本の幽玄な世界というか、そういう部分をすごく感じていたから、今回は勝手にそこをリンクさせながら撮影していました。

―客観的には岡山はどんなイメージでしたか?

横溝正史の世界というか。『八つ墓村』の舞台になったのが割と親が住んでる場所の近所なんですよ。島根のほうに行くと日本刀をつくっている場所があるとか、備前焼の土がどうだとかって父親からよく聞いてたんですけど、やっぱりそれも山のほうの話でした。でも、今回の撮影で2日間海側で過ごして、夜にご飯を食べながら地元の人たちとお話ししている中で、児島はいろんな地域の文化を吸収しながら発展してきた土地だと聞いて、なるほどなと思いました。あとは撮影もした野崎邸(旧野崎家住宅)が塩で財を成した人の家だったというのがさっきのトゥアレグ族と重なって。

名越さんが撮影したMOMOTARO JEANSのブランドビジュアル

Photographer_Keisuke Nagoshi (um tokyo)
Stylist_Keisuke Shibahara
Hair & Make-up_Yoshikazu Miyamoto (BE NATURAL)
Creative Director_Kaie Murakami (SIMONE)
Art Director_Naoki Mizobe (SIMONE)
Designer_Yuuri Fujii (SIMONE)
Movie Director_Ayano Kamiyama (SIMONE)
Business Producer_Haruka Hirano (SIMONE)
Production Manager_Marin Kanda (SIMONE), Yuko Igarashi (SIMONE)
Model_KOHEI
KENYA (TOMORROW TOKYO)
KINARI (Image)

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追憶の青に駆られて名越啓介の旅は続く

―塩ですか?

トゥアレグ族も、長い時間をかけて砂漠を移動しながら塩を運んで売りに行くんですよね。それに彼らもナチュラルなインディゴで染めたブルーの衣装を身にまとったりとか、そういう部分も偶然にしては妙に近いものを感じるなと不思議に思ってたんです。

―確かに不思議な一致ですけど、名越さんがそもそもトゥアレグ族を撮影しに行こうと思ったのはなぜだったんですか?

20年ぐらい前から行ってみたいと思ってた砂漠の音楽フェスがマリであるんですけど、そこにトゥアレグ族のアーティストが出てるんですよ。ティナリウェンっていうグラミーも獲ってるアーティストで、砂漠のブルースマンって呼ばれてたりしていて。彼らをきっかけにトゥアレグ族自体に興味を持って以来、ずっとトゥアレグ族には会いに行きたいと思ってたけど、内戦がすごくてなかなか行けなかったんです。それが偶然アルジェリアのほうから入れるルートがあって、タイミングよく行けるとなって。だから、音楽から興味を持った感じです。

象徴としての多面的な青

―トゥアレグ族の人たちというのは、どういう方々なんでしょうか?

領土を奪還するために戦っていたり、遊牧民なんですけどレボリューションの精神を持っている人たちで。今は定住している人がほとんどなんですけど、その昔ながらの生活というか、そういう部分は色々見られました。トゥアレグ族の人たちからすると、ブルーっていう色は富の象徴なんだそうです。トゥアレグブルーっていうすごく青みの強いブルーもあるくらいで。

―彼らにとってもブルーは特別な色なんですね。

そうだと思います。それがアメリカになると、やっぱり青って労働者の印象が強くなりますよね。1910年代くらいにトレインホッピングって言って貨物列車に飛び乗って、いろんなところで金の採掘をしてた人たちの作業着とかも、やっぱりブルーのイメージですし。

―エリアによってブルーに違う意味合いがあるのが面白いですよね。名越さんが撮られる写真においては、青ってどんな役割なんでしょうか?

僕の中では自由さの象徴みたいなところがあって、だからかブルーを活かしながら撮影することは結構多いです。今回のMOMOTARO JEANSもそうですね。写真の上がりで、アンダーのところにある深いブルーの色って夜明けの色合いに近いというか。その色はテーマとしても大事にしてます。誰にも縛られない、自由な色。

追憶の青に駆られて名越啓介の旅は続く
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―夜明けの青というのは、すごくイメージしやすいですね。

だから今回の撮影もわがままを言ってかなり早い時間から撮影させてもらいました。「夜明けの時間帯を中心に撮影したいです」って、朝の3時くらいから。どうしてもあの色で撮りたかったんですよ。撮影に関わってくれたみなさんは2日くらい、ろくに眠れてないんじゃないかな(苦笑)。

―本当にお疲れ様です(笑)。名越さんは世界中を旅しながら撮影をされていると思いますけど、ジーンズを穿いている人が印象に残っている場所はありますか?

シアトルのあたりで若いホームレスとしばらく一緒に生活をしていたことがあるんですけど、彼らが本当にカート・コバーンみたいなボロボロのデニムを穿いてたのはよく覚えてます。だけど、個人的に一番好きなのはジェームズ・ディーンみたいな白Tにジーンズっていうシンプルなスタイル。『理由なき反抗』のあの感じが、自分の中のデニムのイメージです。

―実際に名越さんはご自身でもデニムはよく穿かれていますよね?

そうですね。元々’50sが大好きだったから。昔はリーゼントにジーパンみたいな、そんな感じでした。10代で初めて世界中を旅したときもジーパンを穿いて、ポマードと櫛しか持って行きませんでした。あ、あとカメラか。でも、カメラは二の次でしたね(笑)。そのときも映画で観たロッカーズが集まる場所がロンドンにあって、そういうところに行って革ジャンとジーパンのバイク乗りたちを撮影したりして。今考えるとよくやってたなぁと思います(笑)。

―若さとエネルギーで駆け抜けたんですね(笑)。

でも、やっぱり青いジーンズは青春…若者の象徴のように今も感じるし、それも夜明けに近い感覚というか。すごく丈夫でどこに旅に行ってもしぶとくついて来てくれるんだけど、どこか儚い理想郷みたいな感じもするんです。

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―確かにブルージーンズって、そういう二律背反を感じさせますよね。今回の新たなビジュアルは架空のストーリーのようでドキュメンタリーのようにも感じたんですが、名越さんは普段、ご自身の表現をどう捉えられているんでしょう?

ジャンル分けするのはあまり好きじゃないんですけど、僕はドキュメンタリーの世界の中から生まれるフィクションとノンフィクションの境目くらいのところがやっぱり好きなんだと思います。いわゆるフィクションでも、みんなでつくり上げていく世界っていうのはやっぱりすごく面白いですよ。そこから生まれるノンフィクションみたいなものが、やっぱりあると思うから。

―先ほどのトゥアレグも、以前写真集にされていたスクワッター(※放棄区域や建物の不法占拠者)もそうですけど、名越さんの写真には日本で普通に暮らしていると目にする機会すらないような被写体や光景がよく登場しますよね。名越さんがシャッターを切りたいと思うのはどんなときですか?

シャッターを切るときって一番自由で、それこそ自分にとっては理想郷というか、現実とはちょっとだけ違うところの記録というか。その狭間を浮遊できるときが一番心地よかったり、無心になれる瞬間で。そういう瞬間に出会えたときに、無意識にシャッターを押している気がします。

時間をかけて、物語に触れる

―名越さんがいろんな国や場所を旅されている理由が少しわかったように思います。

写真をやってなかったら絶対行かないようなところばっかりですけどね。身銭削って怖い場所に行って、何やってんだって感じですよ(笑)。

―(笑)。

でも、カメラっていうツールがあることによって相手のことを知ろうとか、相手の文化を知ろうと思えるんだと思うと、やっぱりそれが自分と社会との接点なのかもしれません。

―きっかけとしてのカメラ、写真という考え方は面白いですね。

そうやって海外のいろんなところでも撮影していく中で、最近はいい意味で日本人であることを大切にしたいなと思うようになってきました。世界のどんなエリアに行ってもやっぱり自分は日本人で、日本人としての自分がそこで何を感じたか、どう表現したかったのかってことだよなと。例えば同じサハラ砂漠を写真で表現するにしても、違う国の人がやったら絶対に違うものになるし、その違いは一体なんなんだろうなっていうのを、数年前ぐらいからすごく意識するようになりました。今回のMOMOTARO JEANSもそうですけど、日本の技術や文化を作品に取り入れていって、それを表現したいなっていうのはすごく意識してやってます。

―それには自分の出自と異文化への理解、両方必要ですよね。

そうですね。僕は、前まではとにかく飛び込んでいくスタイルだったんです。いろんな地域のいろんな人たちを理解したくて、まずその地域の歴史だったり、その人たちがどうやって生きているのかを知るためにとりあえず一緒に生活してみる、みたいな。一緒にご飯を食べて、一緒に笑って、泣いて、恋愛したこともあります。そうやってその人たちの魅力だとか、大切にしているものとかを知っていくんです。そこでは僕が何を考えているかはどうでもいいと思っていて、それよりもそこで生きてる人たちがどれだけ魅力的かを伝えたかった。でも、今はそこで日本人としての自分が何を感じたか、どんなコミュニケーションがあったのかも形にしたいと思うようになったのが昔と大きく変わったところです。

追憶の青に駆られて名越啓介の旅は続く
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―その意識が強まって、作風や表現にも実際に変化はありましたか?

結構変わりましたね。それまでは人を撮ってることが多かったけど、人がまったくいない砂漠だとか、砂のひと粒が人生に見えて来たりして、人が映っていなくてもそこに何かを感じ取れるようになって来ました。それに文字もよく書くようになったし、自分との対峙が増えてきたなって感じてます。

―素敵なことですね。でも、そうやって自他の文化とちゃんと向き合わないと、一見ドキュメンタリーのようでも捻じ曲げられて伝わってしまう怖さもあるんだろうなと、聞いていて感じました。

それはすごく思います。僕が10年くらい、フィリピンのスモーキーマウンテン(マニラ北方にあったゴミ集積場と周辺のスラム街)に住む人々の撮影によく行ってたんですけど、そこで暮らしてたひとつの家族と仲良くなったんです。それで一緒にいるときにイギリス人のお金持ちがやってきて、その家族がマンションを1室買ってもらえるっていう話になったんですよ。マニラの都会の、ちょっといいところに。

―すごい話ですね!?

それで「よかったね!」みたいな話をその家族としたんですけど、2週間くらいしたらその家族はスモーキーマウンテンに帰って来たんです。「なんで戻ってきたの?」って聞いたら、「居心地が悪い」って言うんです。そんなワケないんですよ。ベッドも台所もあって、めちゃくちゃきれいな部屋なんだから。でも、彼らは何世代もゴミの山で生活してきて、それが当たり前だったんです。それで、最初はベッドで寝てたけど、だんだん寝心地が悪くなって、最後は台所の床で川の字になって寝てたそうです。

―面白くもシリアスなエピソードですね…。

それでスモーキーマウンテンに帰って来たっていう。外の人から見たら可哀想でも、本人たちからしたら、そこで生きていくのが全然普通のことなんです。そういう価値観の違いは1回行っただけじゃわからないし、僕もちゃんと知るのに時間がかかりました。自分たちの想像とは、全然違うんだなっていうことを。

―大事なことだなと切に感じます。現代は時間をかけて自分たちとは違う文化を知るっていう意識が希薄になってきている気がするから、余計に。

逆にこれからはそこがすごく重要になってくるんじゃないかと思います。人間が何を経験して、何を感じたかっていうようなことが。ひとつのものが一体どういうルーツを持っているのか、そこではどんなことが大事にされて、どうやって生まれたのかとか。そこには人間の物語があって、それが面白いと僕は思うから。知るにはすごく時間がかかるし、なかなか大変ではあるんですけどね。

―その好奇心や知りたいという気持ちがあるから、名越さんは今もいろんな場所に足を運んでいるんですね。

そうですね。いろんなカルチャーが好きで、その本場を見たい、ルーツを知りたいっていうところから僕は始まったし、今も写真をやってる大きな理由のひとつにはそんな初期衝動があると思ってます。知識や技術がついてくるとどんどんつまらない写真になっていったりして、それを振り払うことを目指してるけど、初期衝動だけで撮ってたあの頃みたいなところにはなかなかたどり着けなくて。そこに向かって今もやってます。だからブルーっていう色だとかジーンズに惹かれるのかも知れません。青春だとか、初期衝動を感じるものだから。

追憶の青に駆られて名越啓介の旅は続く

PROFILE
名越啓介
1977年生まれ、奈良県出身。大阪芸術大学卒。UM所属。19才で単身渡米し、若い路上生活者と共同生活をしながらその様子を写真に収め始める。_世界の辺境の地域やマイノリティーなコミュニティに入り込んで、寝食を共にしながら撮影を行うスタイルを続け、これまでに『SMOKEY MOUNTAIN』や最新作の『DUNE』に代表されるいくつかの写真集を発表し、写真展も多数行い様々な賞にも輝いている。広告や雑誌などで活動しながら、『クレイジージャーニー』(TBS系)などのTV番組にも出演している。

@keisuke_nagoshi

Reported by…

今野 壘
編集者
1987年生まれ。インタビューを通し、国内外のデザイナーやアーティストから市井の人々まで、多くの個性と日々向き合っている。熱量の生まれる現場に足を運び、それを世に伝えることが本懐。

@ruik0205

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