童話と子どもが教えてくれたこと。
小林一毅、デザインと対話。
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時として、つくり出されたプロダクト以上にその個性や姿勢を物語るロゴ。MOMOTARO JEANSはブランドを刷新するにあたり、そんな大切なシンボルの新しい表現をデザイナーの小林一毅さんにお願いしました。岡山は児島に根差し、ものづくりと向き合ってきた私たちの色を、小林さんはモノトーン&ボールドという自身の作風でどんなふうに形作っていったのでしょうか? そこに込められた想いと、彼が見出したデザインの可能性とは。
PHOTOGRAPH : Local Artist
EDIT & TEXT : Rui Konno
オファーを受けた、その理由



―資料やラフ、たくさん持ってきてくださったんですね。これはMOMOTARO JEANSの干支シリーズですか?
はい。蛇は今年出ましたけど、12年分あるので。12年も経つと気分も変わっちゃうと思うけど、先に描いておけばトンマナもちゃんと合うかなと。
―長期的なお仕事でも、“12年先のデザインを”というオファーはあまり多くなさそうですもんね。
ないですね。簡単に「はい」とは言ったものの、結構大変だなって(笑)。描いていてもうちょっと修正できそうだな…となると3案、4案とつくるわけですけど、それが12年分となると1回の提案で40枚とかになっちゃうので。でも、楽しくやってます。
―MOMOTARO JEANSからデザインのお願いをさせていただいたときに快諾してくださいましたけど、その理由を聞いてもいいですか?
リブランディングにあたって、かなり熱量のあるメールをもらいましたし、本当にいいメンバーでつくろうとされていたから僕も一緒にやってみたいなと思いました。元々の依頼は(MOMOTARO JEANSのクリエイティブディレクションを手がけるエージェンシーの)SIMONEさんからいただいたんですが、僕が前職の資生堂に所属しているときからSIMONEさんは出入りされていて。でも、その頃の僕は本当に新人で、結局会社も4年で辞めてADもやる前だったので認識されていないと思ったんですけど、しっかり見てくれていたんだなって。

―そんなエピソードがあったんですね。
僕も子どもが産まれて2、3歳くらいの時期だったのでそんなに多く仕事が受けられる状況ではなかったんですけど、実際のタグに展開したらどうなるかとか、そういうシミュレーション周りのところはSIMONEさんが検証してくれました。
―実際のロゴデザインはどんな風に進んでいったんですか?
元々のMOMOTARO JEANSのロゴって、しっかり桃太郎でしたよね。具象的、描写的な。それをまず変えようというお話がありました。ジーンズを穿いた桃太郎が桃から出てきているというところは変えずに、また違うアプローチの方法がないかって。それと、そもそも桃太郎ではなく、桃とか抽象化されたアイコンみたいなものも可能性があるのかと。その2軸をつくってみないかという提案がありました。テイストの部分について、倉敷は元々民藝運動が盛んだったエリアでもあるのでそのリファレンスも当時はあったんですけど、それにあんまり寄りすぎない方がいいんじゃないかっていう僕の意見もあって。
―小林さんがそう思われたのはなぜだったんでしょう?
そもそもジーンズが工業製品で、民藝的な商品ではないと思っているので。岡山っていう土地柄に引っ張られたストーリーだとしても、民藝的なアイコンにすることが必然にはならないし、“それっぽい”で終わっちゃうんじゃないかなという気持ちがありました。


―最終的にはすごく抽象的でコンテンポラリーなロゴになりましたね。
そうですね。僕に求められていたのも描写的なロゴから変えていくということだったし、その抽象化の塩梅への期待感もあるんだろうなと思っていたので。あとは、より紋章化するというか。そこの意識もありました。ロゴが入る一番小さい場所だとリベットになると思うんですけど、それくらい小さいと細部の表現ができないので、いかにパスを少なくするかっていうのが前提としてありましたね。抽象化すると当然ディテールを削いでいくことになって、わかりにくくなるのでその調整が難しかったです。
再考、桃太郎の物語

―そもそもまったく新しいブランドのロゴをゼロから考えることと、今回のようにすでに長年続いてきたブランドロゴを刷新するのとでは、勝手がだいぶ違いそうですよね。
MOMOTARO JEANSはコアなファンがいるわけだし、その人たちの気持ちがわかるから余計にそうでしたね。僕はサッカーが好きなんですけど、自分自身も好きなチームのロゴが変わったときにちょっと萎えたりしたこともあったので、そういう気持ちはすごいわかるなぁって。だから今回も、そこに対して自分でできることは何だろうと考えました。
―その過程でレスに振り切ったデザインまで試されたんですね。
はい。それで一旦は桃太郎もなくした状態から「やっぱり必要だよね」というふうになっていって。桃太郎自体がそもそも民話で主に子どもが聞くジャンルのひとつでもあるので、例えば積み木とかみたいなより整理整頓されたミニマルな形で構成したらどうなるだろうと考えたり。折り紙とかもそうかもしれないけど、そういうところに接続する方法もあるのかな、みたいな。そうやってる内に、桃から産まれてきてるこの状況って何なんだ…!? みたいなことが気になってきて。
―(笑)。言われてみれば、かなり不思議な話ですよね。
不思議ですよね。でも、その想像が結構大事なんじゃないかと思ったんです。おばあさんが洗濯してるくらいだから、たぶん小川なんだろうな。そこを流れてきた桃を、自分だったら取るかな? 子どもが産まれるサイズの桃だからたぶん120センチとかそれくらいかな? とりあえず拾って持って帰って、たぶん家父長制だから芝を刈りに行ったおじいさんが戻るのを待って指示を仰いだのかな。芝刈りした後なら、ひと仕事を終えて疲れているというよりはアドレナリンが出てるだろうから、街の人とか警察を呼んだりしないでそのまま勢いで切ったのかなとか。
―(笑)。誰でも知ってる話ですけど、ここまで具体的にあの物語を考察した人はそういないでしょうね。
で、桃から出てくるわけだから、どう考えても桃太郎は人じゃないわけですよね。何か特別な存在、言ってみたら怪人なんだと思うんですけど、そういう超常的な状況を描かなきゃいけないよな…という気持ちもありました。ただ、これは提案で言っても変な人だと思われるので言わなかったんですけどね(笑)。

―その議論を想像するとだいぶシュールですね(笑)。このアウトラインは花のイメージですよね?
そうです。藍の花ですね。伝統的な紋章・紋様みたいなものは普段から自分でも自主実製作的に描くことが多くて、そのときはできるだけしっかり古典になぞらえながら描くんです。ここにそういう紋章をまとめた明治時代の資料があるんですけど、これには桃の紋章というのも載っていて。桃の紋章には魔除けの意味合いもあるそうで、そういうひとつひとつの文脈と結びつけたりしつつ、あまりエゴイスティックにならないようにやることが重要かなと考えていました。
―ラフを見ると、やっぱり最初はハンドドローイングから始まるんですね。小林さんのデザインは。
基本もうずっとハンドドローイングです。僕の場合は「そのムラとかブレが残ったまま納品してほしい」とかって言われるケースも多くて。
―今のご自身の作風ができたのはいつ頃なんでしょうか?
資生堂にいた頃ですね。これはご存知の方も多いと思うんですけど、資生堂って資生堂書体をハンドドローイングで実際にレタリングするっていう実習が1年間あるんです。それが合う人、合わない人がいるんですけど、僕はこの職人技巧的な行いがすごく性に合っていて。資生堂が持っている独特の美意識みたいなものが、文字を書くっていう行為を通じて感覚的に身に付くような実感があったんです。それが文字造形だけに活かされているのはもったいない気がして、もう少し飛躍させることができないかな、描くことを通じてそれ特有の美意識を学ぶというのが、他の領域でもできないかと思って、家紋を自分なりに解釈して新しく描くというようなことをやるようになりました。
スポーツとユニフォーム


ー今の小林さんの制作に繋がるアプローチですね。
それは家紋の造形的な美意識を自分の中で消化していくためにやってたんですけど、やってるうちにじゃあグラフィティの場合はどうなんだ? となったりして。そうやってひとつひとつはまったく異なるジャンルの造形を吸収していく中で、だんだんいろんなクライアントの仕事にも応えられるようになってきました。元々手で描くことが好きで美術の世界を志したし、美大にも入っているのでその1番最初のピュアな気持ちには正直でありたいなって。ほぼモノクロだけのここまではっきりとした作風になったのは資生堂に入ってからですね。今はほとんどを3種類の太さのポスカと、ピグマの0.05ミリでアイボリーケントに描いてます。
―デザインのおもしろさの原体験は、やっぱり絵だったんですか?
いえ、さっきサッカークラブの話をしましたけど、スポーツのユニフォームが格好いいなって昔からすごく思っていたんです。僕が通っていたのも結構なスポーツ校だったので、サッカーとか野球とか、スポーツの仕事に関わりたいと思うようになって。何かいい方法はないかと考えて、美大に入ろうと。
―そんな経緯だったんですね!?
そうなんですよ。で、たまたまその頃にギンザ・グラフィック・ギャラリーというところでマックス・フーバーというイタリアのデザイナーの展覧会をやっていて、高校3年のときにそれを観たんです。戦前ぐらいから活動を始めて、いわゆるモータースポーツとか、レーシングやスキーのグラフィックをつくっていた人なんですが、それを観て「こんなにミニマルなスポーツグラフィックの表現ってあるんだな」と刺激を受けました。それでグラフィックデザイナーっておもしろいんじゃないかと思ったし、いつかユニフォームのデザインとかをやるのであればパターンのデザインとか、そういう平面的なスキルが活きてくるんじゃないかと。当時はサッカーのスタジアムに行くとダフ屋が安いパチモノのユニフォームを売ってたりしたんですけど、そういうものを見てるのが好きでした。

―ちなみに小林さんのフェイバリットなユニフォームはどのチームのものですか?
高校サッカーかもしれないです。去年、久々に東海大相模が全国に出てましたけど、あの黄色と黒のいわゆるタイガーカラーのユニフォームとか、めちゃくちゃ格好いいと思います。前橋育英もそうだけど、相模の黄色と黒は特に。たぶん、そう思うのはサッカーの場合はどうしてもユニフォームにスポンサーのロゴが入ってきたり、スポーツとは直接関係のない情報が多い中で高校生年代のスポーツはそれがないし、校名のデザインに漢字を使ったりと土着性もあるから。世界中のサッカーカルチャーと比較して見ても個性的だと思うんですよね。プロでも、例えばユベントスのジープみたいにスポンサーのロゴまでカチッとはまっているクラブはすごく格好いいと思います。それで言えば、スポーツではないけどジーンズもやっぱりユニフォーム的なものだと思ってましたよ。それがすごくおもしろいポイントだなと。ただ、ロゴデザインの中にはそれを組み込むのは難しかったですけど。
―確かに。ただのファッションアイテムとはまた違う存在ですよね。デニムって。
仲間意識とか、チーム意識があるジャンルのアパレルのような気がします。だから、そういう人たちにビシッとハマるものがつくれれば、それもおもしろいのかなと思ったり。
『言葉が立ち上がるまえに』
―お会いする前に、昨年小林さんが上梓された『言葉が立ち上がるまえに』を読んだんですが、そのタイトルの印象が強かったので、こうやってご自身の視点やロジックをちゃんと説明してくださったのが正直、ちょっと意外でした。
あの本には中に1文字もないですからね(笑)。
―はい。モノクロ、ボールドの作品だけが淡々と掲載されていて説明も題名もないのですごくストイックだなと。
この本をつくってた頃は子どもが2歳くらいだったんですけど、よく一緒に石拾いをしてたんです。そうすると、娘がおもしろいと思った石を拾ってきて見せてくれるんですけど、僕からするとそれはただのコンクリートの破片だったりするんです。僕らが考える“いい石”って、大体は丸石だとか模様が綺麗だとか、そういうものじゃないですか。“こういう石がいい石だ”って、教育されて刷り込まれてる部分がある。
―ありますよね。固定観念というか。
そうです。でも、2歳の子どもはほとんど教育なんて受けてないから、僕らがそうやって矯正されたものの見方をしてるのに対してより野生的というか、ごく私的な感性でものを選んでる。それがすごく気になったんですよ。

―彼らはまだ、偏見のまったくない状態ですもんね。
そうそう。そういうものの見方が改めてできないかなと思って、子どもの石拾いみたいに自分でも散歩しながらふと目に留まったものをスケッチしていったんです。これがどういうものかとか、そういう認識をする前に。それが50枚、100枚と溜まったタイミングで一気にポストカードにしていって。とにかく、目に入ったものはいい悪いとかって判断する前に何でも描く。自分の目が捉えたものを描いていって、それが束になったときにどういう法則性や嗜好性があるのかを見たくて。だから、あのタイトルは“言葉が立ち上がる前に記録したもの”っていうことです。
―2歳だったお子さんの言語が発達する前でもあったわけですね。
ですね。自分がいいと思っている形とか、そういうもので仕事をし過ぎている気がしてたし、子どもと接していてそれが揺らぐことがすごく多かったんです。だから、それを一回解体しなきゃいけないなと思ってこの作品を描きました。そのときの自分の感覚を、同じように読書体験として持ってもらえないかなと思ってまとめたのがあの書籍です。だから、見方を一切指示しないっていう意味で、中に文章とか前書き、後書きがない「何これ?」っていう状態にしたかった。本当は、誰かが「もういいや」となってこの本が売られて、何なら海外の古本屋さんとかで見つけられて「何だこれ?」となってるような状態が一番理想的ではあるんですけど。
―すごくおもしろいビジョンですね。あの本を手に取っただけでその意図まで汲み取れる人は絶対にいないでしょうけど。
(笑)。子どもがたくさん石を拾ってきたときのカゴとか、僕だったら小さい頃に乗ってた車のおもちゃがパカっと開いて、中にどんぐりとかをいっぱい入れてたなとか、そういうわけのわからない箱のような状態をつくりたかったんです。そのひとつひとつの思い出を薄くしていくために、ボリュームが必要だったんです。でもやってみて、600点くらいだと案外忘れられないなと思いました。今、スケッチブックに3000枚くらい別の方法で描いていて、それくらいあればさすがに忘れられるんじゃないかと思ってます(笑)。
―(笑)。でも、受け取られた後のことをそうやって想像されているのが、すごく小林さんらしいような気がします。
デザインも結構淡々と描いているけど、実際に納品して、それが運用され始める瞬間に一番“やって良かったな”と思います。頼まれて自分がつくったものをその人たちが楽しそうに運用してくれてるのを見ると、やっぱり。それで「いつか、こういうこともしたいと思ってるんですよね」とか、「この後、こういうことをしたいと思ってるんです」みたいな妄想の話をその人たちがしてくれるのを聞くのがすごく楽しい。僕ができる限りのものを提供したことで、彼らの人生がちょっとだけおもしろい方向に向かっているのかなと感じられたときは、やっぱり嬉しいんです。

PROFILE
小林一毅
1992年生まれ、滋賀県出身。多摩美術大学を卒業した後に資生堂のクリエイティブ本部に籍を置き、2019年に独立。東京TDC賞、JAGDA新人賞などを受賞し、先ごろはスポーツの世界的祭典で念願のユニフォームのデザインも手掛けるなど、マイペースでも精力的な活動を続けている。
