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デザインの可能性、ムラカミカイエの視点。

デザインの可能性、
ムラカミカイエの視点。

2025.09.05 STORY

CONTENTS

予想外の経験が広げた視野
桃太郎からMOMOTAROへ
過去のレガシー、現代のイメージ
肩書きは“デザイナー”

ブランドという言葉の語源は、一説では識別するための焼印にあると言われています。タイムラインを開けば多くのブランドが他者との違いを声高に叫ぶ現代にあって、その意味合いがさらに強まっていることに疑いの余地はないでしょう。フルブランディングファーム、SIMONEを主宰するムラカミカイエさんは様々なクライアントワークを通して、そんなブランドの価値やあり方とずっと向き合ってきました。彼が指揮を取り、MOMOTARO JEANSがリブランディングを開始したのが数年前のこと。岡山・児島で長年ものづくりと向き合ってきたデニムブランドにムラカミさんが感じた個性と熱量。そして、彼が描いた未来の景色について訊きました。

PHOTOGRAPH : Yuka Uesawa
EDIT & TEXT : Rui Konno

予想外の経験が広げた視野

デザインの可能性、ムラカミカイエの視点。

―最初にムラカミさんがどんなお仕事をされているのか、改めて聞かせていただけますか?

簡単に言うと、ブランドをつくる仕事です。ブランディングっていう言葉がありますけど、それって一般的にはロゴやWEBサイトをつくったり、パッケージや広告をつくったりすることが多いなかで、僕らの場合は事業計画やプロダクト開発などからやるのが特徴です。経営も含めた上流からやるっていうのが、他との違いですね。

―SIMONEを立ち上げて、そういった活動をするようになった経緯も教えてください。

僕は20代の頃はイッセイミヤケにいて、30代でSIMONEを立ち上げたんですけど、元々ミヤケには衣服のデザイナーとして入社しました。それが、3年目ぐらいからショーの演出や広告も担当するようになってブランド全体のアートディレクションを手掛けるようになったんです。

―あまり聞かない抜擢ですけど、イッセイミヤケではそれが普通だったんですか?

僕は特殊だったと思います。ファッションデザイナーとしてアトリエで仕事をしてるとき、僕がいつも自分の好きな音楽をかけてたんですよ。それで、1日に1回くらい、三宅(一生)さんが上のフロアから「みんな、どう?」みたいな感じで降りて来るんですけど、あるとき「いつもこの音楽かけてるの、誰?」となって。それで周りが「村上くんです」と言ったら三宅さんが「君、ショーの担当やりなさい」って。そんな気軽な感じで始まりました。

デザインの可能性、ムラカミカイエの視点。

―かなり攻めた起用ですね(笑)。

まあ、当時は僕も「ファッションデザイン辞めたら、音楽で食べていこう」って思っていたぐらいでしたから。好きこそものの上手なれって強いですよ。ファンでありヘビーユーザーでもあるので、つくっているものに言い訳できないですしね(笑)。デザイナーとしての自分の特異点は、有形無形問わず、色んな分野のデザインを並行して手掛けるところです。アートディレクターとして広告や映像を手がけるのはもちろんですけど、経営やビジネス戦略設計などのコンサル領域、プロダクトデザインとしてはスポーツ分野のウェアやシューズのディレクションからビューティのプロダクト開発までやりますし。

―すごく手広いですね。活動の幅が。

ブランドって部分的に手掛けても成功しないんですよ。ブランドにはその世界観を通して、モノ以上の価値が備わっていることが大前提で、情報や体験価値の生成も不可欠なんです。僕らの幅が広いのは、必要に駆られてひとつひとつできることが個人としても会社としても増えていっただけ。僕は元々好奇心旺盛で多趣味な方ですけど、前職であらゆる分野を掘り下げて勉強しなければいけない環境にあったことが身になっていると思います。デザインやアートの世界最高峰という環境下で、ファッションデザイナーがいきなり演出のプロになるためにアートディレクションやコレオグラフィーや選曲家について学ばなければいけなかった。コラボレーションする相手が勅使河原三郎さんやアーヴィング・ペンさん、横尾忠則さん、フランクフルトバレエ団のウィリアム・フォーサイスさんだったりして、彼らとクリエイティブの話しができるレベルまで、短期間で自分の能力を引き上げなければいけなかった。本やビデオを世界中から取り寄せて寝る間を惜しんで取り組みましたよ。ブランドの名前に傷をつける訳にはいけないから、必死でした。

―ハイレベルな人たちと一緒に仕事ができる水準まで…ということですよね。

はい。そうやって普通はなかなか知り合えないような、伝説的なクリエイター達と仕事をさせてもらえた環境は本当に恵まれていましたね。ただ色々なことができること自体にはそれほど意味はないし、相手がいくら巨匠だからといっても最終的に責任を負うのは僕です。ミッションを成功させることが役割なので、その為にブランドがどうあるべきかを戦略と感性に従って決めていく、時には意見が合わず戦うことも少なくない。そして単にクリエイティブのことだけに集中していればいいわけもなく、予算をかけたならその分だけ多く、回収しなきゃいけない。でも、そういったブランドを形作る色々を高いレベルで実行して、束ねて、時代に適合させることで初めて達成できることがある。それが僕の目指すブランディングデザインの真骨頂。そういう意味ではその最終形に近づいている感覚はあるけど、まだ自分の中での満足感はあまりないかな。やらなきゃいけないことはまだたくさんあります。

桃太郎から、MOMOTAROへ

デザインの可能性、ムラカミカイエの視点。
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―その“高いレベルの色々”の次の形として、MOMOTARO JEANSに携わることになったときのことも聞かせてもらえますか?

MOMOTARO JEANSをやってるジャパンブルーの社長の鈴木さんのことは元々知っていたんですけど、最初にお会いしたときに彼の抱えているプロジェクトに対して、「鈴木さん、それじゃダメっすよ!」みたいな生意気なことを言ったそうです。そのときのことはあまり覚えていないんですけど、「そのときの話がずっと残っていて、今回気になって話をしてみた」っていうようなことを鈴木さんがおっしゃってました(笑)。リブランディングを…という前提でしたね。

―ムラカミさんやSIMONEの皆さんの、そのときの桃太郎ジーンズに対する率直なイメージはどんなものでしたか?

正直に言えば、社内ではネガティブな意見も少なからずありました。当時のブランドの印象やプロダクトに対して。でも、僕は改善の余地があるからやりがいを見出すタイプなので最初からポジティブでした。みんなが先入観を持っていたものが、だんだん評価が変わって世界に広まっていく、成功していくのって嬉しいし。僕は妄想家なので、先にゴールがあって、そこに行き着くために何が必要かひとつひとつバックキャスティングしながら考えていく感じです。

―確かに、すでに非の打ち所がないものに手を加えようとはあまり思えないですもんね。

本来はそうあるべきです。基本的にみんなクールなブランドの仕事に関わるのは好きですよね。誰かがつくったカッコいいものに、自分が関われるだけで楽しい!自分がそのブランドを刷新するんだ!って。それはデザインを志す者の初期衝動としては理解ができるけど、デザイナーのエゴでダメになっていったブランドは過去にごまんとあります。だから、主体を何に置くのかは絶対に勘違いしてはいけなくて。桃太郎ジーンズの場合はすでに多くのファンがいたけれど、一方でこれ以上は広がりにくいような気もしていました。それで、桃太郎ジーンズが元々持ってたエッセンスの中で何が活かせるかと考えたときに、染めや縫製といった桃太郎ジーンズがずっと大切にしてきた、一番重要な部分だけをより先鋭化させようと。特に桃太郎の「特濃-TOKUNO BLUE」という技術伝承は知れば知るほど魅力的で、ブランドのDNAとしては余りあるほど強いコンセプトです。それを引き立たせるためにできるだけ余計なものを削ぎ落として、多くの方が受け入れやすいようにMDやデザイン、プラットフォームを分かりやすくして現代や市場にアダプトさせた。言ってしまえば僕がやったのはそれくらいです。

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―確かにブランドの印象は刷新されましたけど、従来のプロダクトの長所はむしろ顕著になっていますよね。

そうですね。仮にその長所がなかったとしても、つくればいいんですけどね、スポーツブランドだと多くの場合はゼロイチをするのが主になるんですよ。常にイノベーションが求められるから。僕が某スポーツブランドでシューズ開発をしたときには、3Dプリンティングを量産型のシューズでは世界で初めて導入したんですけど、それは世界を代表するスポーツ・アスレティック企業としてその業界の常識を塗り替えて、IR的にも大きなインパクトを残す必要があったからです。MOMOTARO JEANSの場合はイノベーションというよりも原点に遡る感覚でした。桃太郎の持っているジャパンデニムの価値そのものにもう一度焦点を当てて、その魅力を掘り起こして世の中に再提案する。その作業が一番重要だった気がします。

―新生MOMOTARO JEANSの特にものづくりの部分では、ムラカミさんはどんなことを考えながら形にしていったんですか?

再現性がないものをやろうとは最初から思ってました。そもそも生地問屋がルーツということもあって、桃太郎ジーンズには他が再現できないような部分が元からあったから、その強みを研ぎ澄ます感じというか。あと、個人的に日本人ってあまりにも自分たちの文化を卑下しすぎだよなと感じることが普段からすごくあって。それをMOMOTARO JEANSで払拭したかったし、自分たちの国の文化を啓蒙したかったんです。自分たち日本人から見てリスペクトできるブランドにしたかったし、そうしなきゃいけないとも思ってました。

過去のレガシー、現代のイメージ

デザインの可能性、ムラカミカイエの視点。
デザインの可能性、ムラカミカイエの視点。

―ムラカミさんが言われている“日本の文化”について、もうちょっとお聞きしてもいいですか?

例えば東京のファッションというのはエディット文化が大きな特徴だと思うんです。日本のセレクトショップがバーバリーのコートの優秀さに対して本国イギリスよりも向き合って、それを発信したり。アメリカのオールデンにあそこまでの価値を見出して広めたのも日本ですよね。その収集癖と編集能力、あとはプレゼンテーション能力とミックス感でどこの国にもない新しいスタイルを築き上げてきたっていう、確固たる実績があるわけです。だから、MOMOTARO JEANSでは世界のみんなが日本に期待していることを正々堂々とやりたかったし、その品質をもっともっと上げていきたかった。「日本人がデニムを扱うと、こうなるんだよ」って。原理主義でデニムをやってるところがいっぱいある中で、MOMOTARO JEANSはまた別の、独自の価値観でできたらなと。

―デニムの原理主義というのは、“アーカイブや史実に忠実に”という姿勢のことですよね。MOMOTARO JEANSでそこと距離を保とうと考えたのはなぜでしょう?

簡単に言えば、仮にまったく同じ品質のものをつくったとしてもリーバイスには敵わないからです。デニムブランドとして世界で最も認知されたアーカイブを持っているところが未だに影響力を持っていて、メイド・イン・ジャパンも選択肢に取り入れながら品質も担保してる。オリジンを越えることができないその状況で、僕らがここからヴィンテージのレプリカをやる意味ってあるのかな…と思ったんですよ。でも、答えは最初から出てました。だとしたら、リーバイスや歴史の長いデニムブランドが築いてきたレガシーを受け継ぎながら、日本人がどこかで感じていたコンプレックスだとかフラストレーションから解放されるようなものづくりができたら…そういうブランドになったら、ひとつ、正しいと言えるんじゃないかって。それが、必ずしも現代的なやり方ではなかったとしても。

―選ばないようにした、現代的なブランディングのやり方というのは具体的にはどんなものですか?

色々ありますけど、ひとつ意識したのはとにかくハイプにしないこと。最初から、それはすごく重要だと思っていました。

デザインの可能性、ムラカミカイエの視点。

―いわゆる希少性だとかクローズドにすることで価値を持たせるようなやり方ですよね。でも、現代ではストリートからラグジュアリーまで、それを率先して促すアパレルブランドが多い気がします。

そうやって持ち上げて、短期的には多くの人が飛びつくけど、すぐに飽きられるっていう事例を僕は山ほど見てきましたよ。実態がない、または情報価値だけで売れてしまうことがたくさんあるなかで、どうやって本質的なブランド資産をつくり、それを守っていくかが一番重要だと思ってます。ひとつ線を引いておかなきゃいけないなと思ったのは、MOMOTARO JEANSはファションブランドではなくデニムブランドであるということ。ずっと残り続けていくものにしなきゃいけないし、そのためには変わるべきところと変わっちゃいけないところを明確にしないといけないなと。例えば今のエルメスというブランドはどうやってできたんだろうとか、100年残るブランドになるには何が重要なんだろうとか、そういう目線で見ていかなきゃいけないと思ってます。

―ハイプになると、手に入れることがひとつのゴールのようになりやすいですよね。飢餓感を煽る分、アイテムを届けられなかった人の方がむしろそこに価値を感じやすくなりやすいですし。

そうですね。そうやって届く前にジャッジされるのが一番嫌ですね。MOMOTARO JEANSはどうしても生産できるペースに限界があるから、欲しいと思っていても買えていない人たちはいると思うんですけど、まずは着てほしいなっていう気持ちがあります。これはMOMOTARO JEANSだけの話ではなくて、自分たちがやってることの正当な対価というか、その価値を上げていきたいんです。日本って、かなりすごいことをやってる国ですよ。眼鏡に刃物、もちろんデニムもそう。服1着、プロダクト1個をつくるにしても、こんな解像度の高さでやってる人たちって世界的に見てもそうそういないじゃないですか。だから、自分たちの国のものづくりをちゃんと価値のあるものとして受け取ってほしいんですけど、どうしてもみんなそこには盲目になりがちで。だから、グローバルな文化的言語でどうやったら伝えられるかっていうのをちゃんと示したいんです。

肩書きは“デザイナー”

―ここまで聞いていて、納得する一方でムラカミさんの出自を考えるとMOMOTARO JEANSをよりファッション的にすることもできたんじゃないかと思ってしまいました。そうしなかった意図を聞かせてくれますか?

僕が自分のことを振り返ったときに良かったな思うのは、ファッションは好きだったけどファッションアディクトではなかったこと。唯一自分にファッション的な部分があったとしたら、新しいものが好きだったところくらいですね。ミヤケはファッションというよりは衣服というデザインだと僕は思っていました。デザインって目的があって、ターゲットが明確で、それをみんなに有効利用してもらうためのもの。だからスポーツブランドという存在も好きでした。限定された目的に対して、最新で最高のものをつくるっていうことが。機能を突き詰め、形態を整え、それを使ったときに美しくなるようにする。MOMOTARO JEANSも僕はそれと近い感覚でやってます。デニムってツールの側面がちゃんとあるし、道具をつくってる感覚があるからデザインしやすいんです。

―着たときに高揚感を得るとか、装いが洗練されることも衣服の目的たるとは思いますけど、もっと本来の道具としての捉え方ということですよね。

はい。例えばイッセイミヤケの服には、手軽に洗濯機で洗えて、形が崩れず、身体が自由に開放される…っていう側面があるじゃないですか。造形的な美しさはありつつも、機能においてはスポーツウェアに通じるような利便性の高さがあります。三宅さんも「ファッションデザイナーとは言われたくない」っていうようなことをずっと言ってましたしね。僕もこの歳になって、デニムっていうものの良さが本当の意味でわかってきたというか、デザイン的に理解できてきたような感覚があって。道具として強固で、機能的文脈がしっかりしていて、そこにストーリーもある。形状が変化していったり、体に沿って馴染んでいくっていうところにはただの道具を超えたエモーショナルな感覚もある。完成されているようだけどどこか曖昧で、着た人たちがそれぞれ想いを投影できるっていう意味で、メディアとしてもおもしろいなと思います。MOMOTARO JEANSのデニムは洗いをかけていないからその人らしい色落ちに育っていくんですけど、そこにその人なりのドラマが刻み込まれ、カルチャーが生じる感覚があって、それもすごく好きです。

―すごく共感するところではありますけど、MOMOTARO JEANSを刷新していく上でのそういったビジョンは、すぐにブランドのみなさんと共有できたんですか?

いや、やっぱりみんな不安だったと思います。実際に反対意見ももちろんありました。だから、とにかく会話をいっぱいしました。くだらないことも、とにかくたくさん。それで関わるみんなの強みや欠点を知っていきながら、やっぱりみんなに納得してもらえるように、目に見える結果をつくらなきゃと思って、僕らが先陣を切ったような感じです。一番やりたくなかったのは、「リブランディング」って言って表面だけをパッと変えて、カッコはよくてひとときニュースにはなるけど、その後は責任も取らず売り上げも落ちていくようなやり方。それは最悪のパターンだなと思っています。

―「自分はやることやったんで」という考えが透けて見えますよね。そういうやり方には。

僕は、ミヤケにいたときに外部のデザイナーさんにお願いして、そういうことを何度か経験してるんです。それがすごく嫌でした。なんで、みんなこんなに無責任なんだろう…って。それがSIMONEという会社を立ち上げるきっかけにもなりました。

デザインの可能性、ムラカミカイエの視点。

―ムラカミさん個人にも好きなものがあるのはお話を聞いていても明らかですけど、クライアントワークではどんな風にそこと折り合いをつけているんですか?

僕のスタイルを押し付けるのは違うし、何なら自分のスタイルなんてなくたっていいと思ってます。それよりも、ブランドにそもそもあるものを、今回で言えばMOMOTARO JEANSの根幹を浮き彫りにしたい。ミケランジェロじゃないけど、元々本来の形が中にある木を削って、木像を出していくような感覚です。本当はこのブランドって、こういう形なんじゃないかな? って考えながら。正解かどうかはわからないけど、デザインをする上での誠実さってそれをどこまで追求できるかに尽きると思うんです。

―多くの人がデザインという仕事に抱いているイメージとはたぶん、少しだけ違う気がします。ムラカミさんのその姿勢は。

デザインって歴史的にもそういうものですし、むしろその黒子的なところが醍醐味ですよ。難題を振られたときに、「うわ…! 大変だな」と思いながらもワクワクしてるような、そういう人がたぶんデザイナーには向いているんだと思います。僕も人のお手伝いをしているときが一番好きですしね。

―人の役に立つ仕事というのはどんなものでも素敵ですよね。

これはいつも言ってるんですけど、僕が最もリスペクトしているデザインは横断歩道です。誰がつくったかなんてみんな知らないけど、世界中どこに行っても同じデザインで、非言語でみんなが使い方をわかっていて、都市機能を潤滑に回す上で不可欠なもの。あんなシンプルな白線が毎日世界中のどこかで誰かのことを助け続けてるんですよ。それこそ、子供からおじいちゃんやおばあちゃんの安全までを。そうやって人の幸せや生活を支えるデザイナーという仕事に心からプライドを持ってます。“クリエイティブディレクター、ムラカミカイエ”と紹介されることもあるけど、「職業は?」と聞かれたときに、だから僕はやっぱり「デザイナーです」って答えるんです。

デザインの可能性、ムラカミカイエの視点。

PROFILE
ムラカミカイエ
1974年生まれ、静岡県出身。20歳で株式会社三宅デザイン事務所に入社し、10年弱の在籍中に他分野のアーティストやクリエイターとの協業を多数担当。2003年に独立、SIMONEを設立し、今日までに国内外の様々なブランドの躍進を成功させている。


Reported by…

今野 壘
編集者
1987年生まれ。インタビューを通し、国内外のデザイナーやアーティストから市井の人々まで、多くの個性と日々向き合っている。熱量の生まれる現場に足を運び、それを世に伝えることが本懐。

IG @ruik0205

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